斉藤和枝(斉吉商店)

斉吉商店について

斉吉商店は、大正10年に仕事が始まったようです。

会社になったのは、昭和35年ですけれども、私から見ると、ひいおじいさん、創業者の斉藤吉之進の名前から、「斉吉(さいきち)」と言います。

吉之進は遅く商売を始めたんですけれども、…というのは、海軍の軍人で(日露戦争の)日本海海戦のときに、連合艦隊の軍艦に乗ってお料理をしていたと聞いています。

退役してから気仙沼に戻り食料品店を始めたのが最初で、その後、吉之進の次の代からは廻船問屋という仕事も、食料品店と一緒にするようになりました。

その廻船問屋を始めたのが、斉吉に嫁に来た、私からすると祖母なんですけれども、嫁に来たのに、そこん家の商売を変えるっていう(笑)すごく激しい人だったんですけれども、その人が廻船問屋というのを始めました。お客さんから「船を持ってくるので、扱わないか」と言われて。

廻船問屋っていうのはどんな仕事かというと、日本の全国に港があって、そこに漁船があるわけなんですけれども、戦後、エンジンで船が走るようになって、遠くまで魚を獲りに行くようになると、たくさんの地区、圏外の船主さんが仕立てた船があります。

この三陸が、世界三大漁場と言われてますけれども、日本の中で「三大」に数えられているのは、ここの、前の海だけなので、そこにみんなが集まって魚を獲って、気仙沼に水揚げをするときに、例えば船主さんが九州だったり、北海道だったりするわけですから、船主さんがその都度おいでになれないということで、船主の代理、代行をする仕事です。

全国から気仙沼に船が入ってください、ということで、父の代はずっと、全国を営業して歩いて、気仙沼に水揚げしてくださいと言うふうに、気仙沼に船を集めました。

昔から気仙沼には優秀な漁師さんが多く、優秀な漁師さんを多く輩出しているので、その人達を、全国から来る船に乗っていただいて、そしてまた気仙沼に水揚げして頂くようなことを仕事にしていましたけれども、世界的に法律ができて、200海里の問題などができたあたりですね、そこから船が少しずつ減ってくるんですね。

それで父の代に「漁船の仕事をしているだけでは、いつかご飯が食べていけなくなると思うから、陸の仕事もして欲しい」ということで、私達が結婚した時、今の社長の代になるときに、獲れた魚を販売するという仕事に変わりまして。

魚をただ販売するということではなくて、いわゆる水産加工といいますけれども、魚を食べられるようにしてから売るという仕事になりました。

それは食品部といって、それができたのが平成元年なので、それから今日までお魚を使った加工品を作るということをしていますけれども、東日本大震災の後、廻船問屋は今までその業務を担っていた、私のいとこなんですけれども、その人に会社を分けたので、今は斉吉は魚をおいしく、煮たり焼いたり、あるいは海鮮丼にしたり、という仕事をしています。

長くなってすいません(笑)

madehni結成の経緯

20人とか30人とか、そのくらいの規模で仕事をしてきたんですけれども、その中で、私達だけで商品開発をするということが、まずずっと続いてきました。

お客さんに商品をお届けするにあたって、色々、例えば味のことだけではなくて、どんなふうにして、お客さんに私達の商品のことを伝えたらいいだろうかとか、そういうことがとてもわからない、ということが多いということをある日、気が付きまして。

で、それを大きく気づかせてくれたのが、東日本大震災なんですけれども、震災があって、今まで以上に、今までの本当に何倍ものお客さんが、お客さんというか、助けましょうということで、たくさんの方がこの三陸においでになったんですけれども、ここの魚とか、ここの産物。山のものも海のものも、こんなに美味しいということが初めてわかった、というふうに言われたんですね。

まぁーって思いますよね。前から、私たちは先祖代々こういうものを食べてきたのに、全くお伝えできていなかったんだ、と思ったんですよね。

実は震災の前からそのことは薄々感じていて、元々ここの産物っていうのは、農産物も水産物も、原料で圏外に出て行くことが震災前はとても多かったので、だから、例えば魚に気仙沼って、名前がついていないから、皆さんはご存じなかったんだろうな、というふうに思ったんですね。

そんなことを、もっとたくさん、ちゃんと私達のところの食べ物だから、っていうことをお伝えしながら仕事ができるようじゃないと、働く人たちの誇りにもつながらないって思っていたんです。

そうしたら、震災後に初めて食べたっていう人がこんなに多いんだっていうふうに思って、もっともっと、私達のこの豊かな産物をお伝えしながら販売していかなくてはならないと思いましたら、わからないことだらけだったんです。

商品を作るにしても、小さい会社で作るのには、たった20人とかそのくらいで商品を揉んだりするのには限界があるなと思ったし、それと、わからないことをもっともっと勉強しなくちゃならない。

だけども、斉吉商店だけでは大変だな、というか想いを同じようにする人達と一緒になって勉強しあったり、情報共有したりというのが、ものすごく欲しいな、と思ったので始まった、というふうに考えています。

madehniの活動で印象的なエピソード

今まで、自分のペースで、ゆるゆる商品開発をしていた。そんなつもりは無かったんですけれども、そうだったな、というふうに思いました。

madehniでスケジュールを決めて、これまでに商品を出そう、ということになると、そこまでに仕上げなくてはいけないというプレッシャーで、本当にもう、毎日汗がでるような、冷や汗が出るような思いをして最初のスープができたなぁと。

あのスープは本当に、印象深いですね。

それで、皆さんから出てくる商品がどんどん良くなってくると焦るんですね。それで焦りに焦り、で自分は出してみるけど、やっぱりみんなから「前のほうが良かったんじゃない、和枝さん」とか言われると「はぁー」って、もう社内で言われるのとは比べ物にならないくらい焦るというか、冷や汗ボタボタみたいな感じで、自分が追い込まれながら最初の商品は特に作ったなぁと思うので、あの緊迫感は、毎回ですけど、苦しいけど得難いものだったりというように思います。

斉吉商店がいちばんmadehniしていること

私達がいちばん大事にしているのは、鮮度です。

魚でも野菜でも、いちばんおいしいタイミングっていうのが必ずあると思っていて、こういう場所に居るからこそ、この鮮度を大事にするのが私達の仕事だというふうに思っています。

そこの鮮度を見極めて、鮮度が良いうちに処理するということは、一度にたくさんの物を作れたりしないので、大変手間ひまがかかるものですけれども、まず鮮度です。

鮮度がよければ、あんまり余計なことをしなくてもひとりでに美味しいのではないかと思っているので、例えばこういう節に加工するときも抜群の鮮度だと全く味が違うというふうに思っていますので。

鮮度ですね。

斉吉商店(外部サイト)